本当にありがたいことに、ブログを見て、H氏が福原金属の鎖0.3mmを送ってくれました。これは、まさにぴったりの部品です。感謝感激。
それにしても、福原金属はいい素材を供給してました。廃業後にその価値を認識したのは、おバカでした。
これで、また少し前進できそうです。
実は、当鉄道にはすでにクモハ73が在籍しています。これは、カワイの生地車体をクハとともに入手して数年前に仕上げたもので、動力は古典的なインサイドギアを使っています。
子供の頃、カタログでカワイのクモハ73をみて、ちょっと実物と違う感じ抱いたのですが、手にしてみると、基本寸法はスケールになっていて、前面のディティールに少し手を入れると、かなり実物の雰囲気を出してくれることがわかりました。
ヘッドライトやテールライトも点灯化しました。
この編成を作ったころ、電車、電気機関車はDCC化する考えだったのでデコーダーが入っています。しかし、レイアウトが完成すると、DCCと通常の直流電源(DC)の共存は面倒が多く、普段DCを使うので、そろそろデコーダーを撤去する作業をしたいと考えています。
4月にこのブログを始めて何とか毎日更新してきましたが、諸般の事情で明日から2日間はどうにも更新できそうにないのでお休みです。
客車キットの仕掛品は3両となりましたが、その中で、塗装待ちまで達しているのがこのオハニ61です。
手元に昭和32年の中央線客車列車の運用表があるのですが、それによると、中央線を担当する客車区のうち、飯田町を除く、甲府、塩尻、松本、長野のいずれも基本編成はオハニ+オハ+オハ+オハ+オハフです。この基本編成にオハやオロが付属編成として入り(特に新宿~甲府間)、8両編成程度の列車が組成されていました。基本編成の数は25に達していました。
車両配置表を見ると、オハニは61、オハは61もしくは60、オハフは61で、要するに鋼体化客車のオンパレードだったわけです。さすがに、飯田町のオハだけは35系です。荷物車が専用ではなく、合造車というのも、亜幹線だからでしょう。
というわけで、昭和30年代の中央線の雰囲気を出すにはオハニ61は欠かせない車両であります。
早く塗装しないといけませんね。
モハ34を改造したクモニ13は、学生時代よく見かけました。各駅に新聞を配達するのが仕事だったようです。自分になじみのあったのは中央線で、夕刊を配達する時間が下校時間と重なっていたのでしょう。そんなこともあり、フクシマがキットを発売した時に入手し、自分にはめずらしく、それほど熟成期間を置かずにくみ上げた次第です。
下まわりは、キット指定のパワトラではなく、フクシマのFMギアにかえています。ただし、この動力装置は、タイヤの幅が狭くバックゲージが広いため、ポイントで脱線します。このため、バックゲージを少しだけ縮める改造を施してあります。モーターは初めてLN12を始めて使ってみました。ヘッドライトとテールライトもLEDで点灯するようにしました。
下の写真は拝島で、1973年7月の撮影です。立川から青梅線に入る運用もありました。
若い頃、山陰線にあこがれました。近代化が遅れた路線として有名で、東海道や山陽のような本流の雰囲気から外れているのが、自分の性分にあってたのでしょう。C51やC54が遅くまで活躍したことも魅力でした。(見たわけではないけど)
雑誌などの古い写真をみていると、本線のローカルにキハ06が使われていたようで、そんなことから、何年か前に旧フクシマのキットを手掛けてみました。
最初、キットのとおりの下回りにしたところ、ポイントで脱線。これは、車輪の厚みが足らず、バックゲージが広すぎることが原因のようでした。そこで、思い切って珊瑚のキハ用ギアと車輪を仕入れ、モーターとギアの間はKATOの小さなジョイントで結びました。ヘッドライトとテールライトもLEDで点灯化。テールライトのLEDのうち一つの取り付け角度がよくなかったせいか暗いのが問題です。
走りは好調ですが、ちょっとスピードが遅すぎるきらいがあります。