モーガル(Mogul)工場日誌

80分の1、16.5mmゲージを中心とした鉄道模型工作

クハ25 100番台

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 先日のクモハ20 100番台の相棒であるクハ25 100番台です。両運転台の電動車になるはずが、無電装で登場し、その後、片運転台の制御車になったわけです。

 阪和線では偶数番に幌がついていたようで、それを表現してみました。確かエンドウのソフトメタルの幌を真鍮で作った幌枠に接着したと思うのですが、だんだん記憶が薄れてきました。作った時にメモしておくべきですね。

 この南海時代のモタ3000は、デザインがいいと感じています。原形の張り上げ屋根が美しいのですが、標準化された国鉄時代でも容色は衰えていないように思えます。できれば、真鍮で自作したいものです。

モハ72 (7)

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 パンタ側妻板の左側(1位)にドリルで穴をあけ、そこに糸鋸を入れて三角形に切り取ることができました。初めて糸鋸の歯を反対につけて切るをいうことを経験しました。その後、鑢でごしごしと穴を広げ、何とか車体組み立て後の窓抜きが完成。別途、3枚窓を0.3㎜板から切り出し、取り付けました。何とかなった次第です。

 南武線のモハ72は原形がいた時代が短く、比較的早くに500番台以上の新製車にかわりました。雑誌「鉄道ファン」1970年1月号の「”省線電車”の走るところ(4)南武線」の記事は、ちょうど、この原形モハ72がいた時代のもので、参考になります。

モハ72 (6)

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 恐れていたことが起きてしまいました。車体をほぼ組み上げた後、実物資料をあたっていたら、モハ72の0番台はパンタ側妻面の両側に窓があるが、200番台は2位側に配電盤を設置したので、窓をうめたという記事があり、写真でも確かめることができました。しかし、1位側はどうなのか。500番台以降は妻板全体が嵌め殺しです。キットもそうなっています。でも、ひょっとして1位側だけ窓があったのではないかとの疑念があったのです。

 本日、日本橋方面に仕事で出かけたついでに銀座の天賞堂に立ち寄ったところ、エンドウの完成品がショーケースにあり、そのモハ72は1位側だけ窓がついていました。

 ガーン!こういうことは、組む前に調べなければいけませんね。

 何とか妻面の縦樋を設置したのですが、これから窓をくりぬかねばなりません。やれやれ。

 

 

 

クモハ20 100番台

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 中学鉄研に入ったら2年先輩のM木さんという方がいて、ペーパーの素晴らしい電車を作られていました。モハ60系、交直急行電車とならんで強烈な印象受けたのが、阪和線のクモハ20とクハ25の編成でした。

 50年近い年月を経て、当鉄道でも、モデルワークスのペーパーキットでこの編成を実現しました。ヘッドライトは点灯しますが、GT1での駆動で少々やかましいのが欠点です。

 実車は、旧阪和電鉄が南海に買収された時期に製造されたもので、日本の車両スタイルブックにも原形の図面が掲載されています。のちに国鉄に買収されて、73系に駆逐される昭和42~43年ころまで活躍しました。

 旧阪和の電車がいかに素晴らしかったかは、お父様が関西出身の中学鉄研の同級生からいろいろと聞かされていました。ともかく、普段、中央線、南武線、青梅・五日市線といった、どうもあか抜けない線区のあか抜けない電車にしかなじみのない小生にとって、関西の電車はあこがれの対象でした。

Durango & Silverton 1984 (2)

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  Silvertonに別の列車が到着したところです。客車の前にボックスカーを連結していました。ボイラーが低い位置にある点はナローっぽいのですが、大きさはD51なみの印象を受けました。