モーガル(Mogul)工場日誌

80分の1、16.5mmゲージを中心とした鉄道模型工作

鉄道写真

横浜市電 (3)

半鋼製の車両の場合、屋根はキャンバス張りが多いわけですが、その工程の写真を見るのは初めてでした。 このような写真を展示するところも、横濱市電館のすばらしさだと思います。

横浜市電 (2)

これは、ちょっと気に入った1100型です。前後にわかれた2ドアというのがいいです。戦前はポールが片側にしかなかったのですね。ビューゲルが導入されたのは昭和25年だそうです。

横浜市電 (1)

しばらく前に横浜市電保存館を訪れました。根岸線の根岸駅からバスで10分くらいのところです。 横浜市電はカッコいい車両が多いように思え、以前から気になっていました。施設は立派で保存車両の数も多く、何よりも、保存にかける関係者の熱意が伝わってきま…

KCR(九廣鐡道)の軽便機関車 (2)

かなり以前にこの機関車を取り上げましたが、今般、自分の香港勤務時代(1996~1999)のネガが発掘されたので、もう一度取り上げることにしました。

伊豆急100形

大きな窓、貫通扉付き前面、明るいカラーなど、伊豆急100形は魅力的な電車でした。1等車のついた6両編成というのも模型向きです。1972年3月12日撮影。 昔、なかおゆたか氏の記事に刺激され、ピノチオのキットを2両組み立てたことがありました。

青梅線 1972年2月 ED16、101系、クモハ40

川井のコンクリート橋は当時すっきりした形でした。ED16のパンタはまだ軽量タイプのホーンに交換される前であったことが確認できます。クモハ40は相変わらず昼間は青梅で昼寝中でした。

青梅線 1972年2月 ED16,クハ55他

下手な写真ばかりで恐縮ですが、中学3年の時、鉄研のN野君、O住君、E藤君と青梅線を訪れたときのものです。クハ55の若番はかなり後まで青梅線に残って、4両貫通編成にも使われていました。

EH10

古典機関車の模型クラブに入れていただいていますが、本来雑食系なので、近代型蒸気、旧型国電、電気機関車、ディーゼル機関車等いろいろ手を出しています。 しかし、まず手を出すことはないと思われる機関車もあり、EH10はその一つだと思います。 東海道で…

クモハユニ44803、急行富士川

1971年3月20日、下部~波高島間で撮影した身延線の列車です。クモハユニ44803は大糸線から移ってまだそれほど時間がたっていない頃でした。 80系の急行富士川はモハ3両の5両編成です。当時は鉄道のお客さんが沢山いたわけです。クモハユニの編成の後に見える…

1971年3月富士電車区 (3)

朱色のクハ55について、お問い合わせをいただいたのですが、残念ながら前面の写真は撮っていなかったようです。 代わりに同じ日(1971年3月20日)、波高島で撮影したクハ68?の写真と電車区で撮影したクエ28002の写真をアップします。 当時の身延線、飯田線…

1971年3月富士電車区 (2)

身延線では、電動車がすべて偶数向きで制御車は奇数向きでした。 電車区では、超ロングシートで有名な、クハ47153に会えてうれしかったです。 電車区の見学が終わってから、近くの柚木駅に出て、電車で富士に向かいました。甲府に向かう列車の最後尾は横須賀…

1971年3月富士電車区 (1)

古いネガをスキャンし始めたところです。1971年3月(中学2年生)の時、鉄研のN野君とE藤君とで身延線に繰り出しました。甲府から入って、最後は富士電車区を訪問。クモハユニ44や合の子クモハ43、後ろパンタ方式の低屋根化の古参クモハ41などを見学させても…

1972年3月小田原界隈(3) 根府川

下手な写真が続いて恐縮ですが、1972年3月12日の根府川です。まだ80系を見ることができました。153系もほとんどが非冷房車です。寝台特急は20系から14系への転換が始まったところでした。

1972年3月小田原界隈(2) 急行「東海」

153系クハ153の500番台(高運転台)の顔はその後何十年も国鉄の標準になりましたが、原形はこのクハ153 0番台(低運転台)であったわけです。当時東海道の看板急行「東海」の先頭車として頑張っていました。 ホームは客車に合わせてまだ低いままですね。

1972年3月小田原界隈(1) 寝台特急

大雄山線の写真に刺激されて、同じ日に撮影したその他のネガもスキャンしてみました。下手な写真ですみません。すべて1972年3月12日撮影。 「さくら」はすでに14系化されていますが、「富士」「はやぶさ」は20系客車で残っていました。3枚目の奥に見えるスロ…

伊豆箱根鉄道大雄山線(4)

ネガフィルムを探し出してスキャンしてみました。すべて1972年3月12日です。元西武なのでしょうか、旧型国電の窓配置を残した車両がいくつか見えます。

伊豆箱根鉄道大雄山線(3)

実は大雄山線には中学鉄研(中3)の時、仲間と一緒に訪れたことがありました。1972年3月12日です。古いアルバムをひっぱりだしてスキャンしました。撮影場所など全く記憶にありません。今と違ってのどかな風景です。半世紀以上前のことなのですね。

伊豆箱根鉄道大雄山線(2)

大雄山線の線路は、昨今珍しくJR線と渡り線でつながっています。これは、本線の工場に車両をJR貨物による甲種輸送で回送する必要があるからです。 渡り線には架線がなく、JR線に引き上げるには空のコンテナ貨車を介して機関車が牽引することになっているよう…

伊豆箱根鉄道大雄山線(1)

ひとりテツの続きで伊豆箱根鉄道大雄山線の終点まで行きました。車両を回送する際に利用する牽引車(窓配置はモハ31系のようです)が留置されています。車庫はこじんまりとしていて、模型のプロトタイプになりそうです。 全線にわたって線路はよく整備されて…

小田急8000系&1000系

先日、ひとりテツをしてきました。愛甲石田付近を走行する1000系と8000系です。小田急から前面扉のある車両が減っていくのが大変悲しいです。

4年ぶりの撮りテツ出撃 (5)

支線巡りが大体終わり、夕方になりました。難波近くの高野線荻ノ茶屋駅が撮影しやすいとのことで、しばらく列車見学です。ともかく車種が多いのがうれしいところ。 10月末なので夕方の日の光は弱くなっています。iPhoneで撮影してみました。 日曜日というこ…

4年ぶりの撮りテツ出撃 (4)

2日目は、まずN野君によると、むかしは撮影名所だったという箱作に出向いてロケハンしたのですが、開発が進み、写真を撮れそうなところが見当たらず、少し動画を撮ったりしましたが、むなしく退散。 次に、あまり乗る機会のない、支線に行こうということにな…

4年ぶりの撮りテツ出撃 (3)

寺前付近で撮りテツをした後、「鉄道ファン」付録のメモ帳の地図を見ていて、ひょっとして、北条町が近いのではと思いました。北条線といえば、昔のTMSで河田耕一さんの撮影された法華口の駅舎の写真などでなじみがあり、いつか訪ねてみたいと思っていたとこ…

4年ぶりの撮りテツ出撃 (2)

寺前から先は非電化区間で単行のディーゼルカーが接続します。道すがら、運転席のすぐ後ろで撮影地を探したのですが、あまり適当なところがありそうもなく、寺前から少し歩いて戻りました。 曇り空で時々雨も降るような状況になりました。10年前の古いカメラ…

4年ぶりの撮りテツ出撃 (1)

中学鉄研のN野君と4年ぶりにテツ旅に出かけました。初日は三岐のセメント列車を見たかったのですが、来年まで運休とのことで、急遽予定を変更し、関西に向かうことになりました。 近鉄の名阪特急はすいている、との固定観念で名古屋駅に向かったら、なんと「…

小田急8000系

来年には西武鉄道に売却される予定の8000系ですが、まだまだ活躍しています。古いわりに車体がしっかりしているのは、要所にステンレスを利用しているからだとの解説を読んだ記憶があります。 コロナ前までは年に1度くらい、中学鉄研のN野君とテッチャン旅行…

流山鉄道のサドルタンク

流山鉄道というと、古い模型ファンにとって川瀬良一氏のサドルタンクがすぐに思い出される存在です。 そもそも流山鉄道はなぜできたかというと、江戸川の近くに味醂工場があって、その原料・製品輸送の合理化のため、ということだそうです。不勉強にて知りま…

原ノ町

先日仕事で常磐線、原ノ町に出かけました。かなり広い構内で、往年の賑わいが感じられたところです。偶然、今月発行のTMSに原ノ町で撮影された木造客車の写真が掲載されました。原ノ町には、客貨車区や機関区があったわけではないものの、転車台があり、客車…

秩父鉄道 ボールドウィン凸型電機

1982年11月中学鉄研のN野君と秩父鉄道を訪れました。当時、この凸型機関車は現役。帰り間際にしっかり貨物列車を牽引する姿を目撃しました。暗くて写真を撮れませんでしたが、夢のようです。

西武山口線 1980年8月

西武山口線を訪れたときの写真(ネガカラー)です。終点に機回し線がないので、どうするのかと思っていたら、到着した列車は一旦バック運転で本線まで客車を引き上げます。次に客車にハンドブレーキをかけ、機関車だけ切り離して右側の線に入ります。次に客…