先日、1976年に拝島で撮影したEF10 39をご紹介しましたが、アルバムを見ていたら、1973年に矢川と谷保の間で走行写真を撮影していたことに気づきました。こちらは、石灰石列車で川崎からの空荷回送です。
当時EF級は拝島までしか入れませんでしたので、西国立、もしくは拝島でED16にバトンタッチしたはずです。
自分にとってはきわめて当たり前の日常風景で、ロマンの香りなどまったくなかったのですが、こうして時がたってみると、無性になつかしくなります。
石灰石専用のホキ4200、生石灰用のホキ4700、ホキ4200の1世代前のホキ400など、キットを結構蓄えてるのですが、なかなか手が付きません。
石灰石列車は、青梅線、南武線では、基本的に16両編成だったようです。車掌車はこの時代、ヨではなく、ワフが多かったと記憶してます。また、青梅線から八高線に入り、9600(単機)に牽引される列車は8両編成だったようです。八高線の列車には車掌車がついていませんでした。