1970年、大阪万博の年です。父が万博に連れて行ってくれることになりました。すでに、電車ファンになっていたので、大阪に直接行くのではなく、中央線の辰野から飯田線の駒ケ根まで往復し、それから長野に行き、長野発大阪行きの列車で大阪に行くことを提案したら、OKとなりました。
初めて、憧れの飯田線を見物できたわけです。辰野では、このクモハ50+クハ47の編成がクモハ43+クハ16の編成に連結されました。
下の駒ケ根の写真では、そこら中に貨車があることも、今となっては、印象的です。当時、鉄道貨物はまだまだ存在感がありました。飯田線北部の貨物列車はED19とED26の天下でした。