氷川の奥多摩工業が採掘した石灰石は川崎の製鐵会社だけでなく、五日市や高麗川のセメント工場に運ばれていました。戦後はホキ400の時代からホキ4200にさらに茶色のホキ2500へと変化していきました。
ホキ400はアダチがキットを出してくれていたので、いくつか購入し組み立てました。この編成にD51、9600などの牽引機を当てると八高線の雰囲気になります。
現在瑞穂町の郷土資料館で八高線90周年の企画展が行われていて、入り口には、自分の従兄(故人)が撮影した、箱根ケ崎駅を出発するD51重連の石灰石列車の写真が飾られています。お暇のある方は是非ご覧ください。