モーガル(Mogul)工場日誌

80分の1、16.5mmゲージを中心とした鉄道模型工作

土佐のトラム

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 2005年12月に一人で四国の鉄道を乗り歩きました。その時訪ねた土佐電鉄のトラムです。全線乗り歩くには結構時間がかかりました。終点の伊野の近辺は狭い道に鉄路が通っていて、いい感じです。伊野には当時分岐線があり、車両が停泊できるようになっていました。

 四国は南国で少しは暖かいのかと期待していったのですが、雪にふられたり、結構寒かったです。

山陽電鉄356号(1)

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 電車の仕掛品の最後は、この山陽電鉄356号です。

 老人は昔のことはよく覚えているけど、最近のことを忘れるといいます。そうした老人のひとりとして、初めて買ったTMSの記事のことはよく覚えていて、この電車も1967年6月号に載っていました。製作者は高名な木村建夫さんです。

 当時小学校5年生で、模型の経験もほとんどなかったのですが、木村先輩の作品の上品な仕上がりに心惹かれました。とりわけ、パンタグラフの自作というのは、ほとんど信じがたいことでした。

 いつかは自分も挑戦しようと思いつつ、半世紀の年月が過ぎてしまいました。その間、パンタの自作など一度もやったことがありません。そろそろ挑戦しなければいけませんね。

 

モハ72 (9)

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 パンタからの引き込み線、床下のジャンパ栓受け等の作業をして、何とかモハ72が生地完成となりました。これで、電車の仕掛り品は、自作の山陽の貨物電車1両となりました。

 しかし、電車は編成ものなので、特に今回は南武線の昭和44年頃を目標としているので、やはりサハとクハを作らないと様にならないわけです。つまり、サハとクハは潜在的仕掛品であり、早く作らないといけません。

 さらに問題なのは、一体あと何両キットがあるかしらべたら、電車だけで46両あることが判明しました。

 それぞれ思い入れのある車両で作りたいものの、電車ばかりやっていると、肝心の機関車工作ができないわけです。どうしたものか。優先順位を検討しないといけませんね。  

モハ72 (8)

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 モハ72ですが、4両編成で2両がEN22による全軸駆動というのは、ちょっと罰当たりというか、小生には分不相応に思えてきたので、非電動車化することにしました。

 そのため、まず床板を0.7㎜アルミ板より切り出し、床下器具も日光のものに変更しました。

 台車ですが、最近は電動車のDT台車でもピボットがあることを知り、調達してみました。転がりがよく、気持ちいいものです。

 車体側では、パンタ横のランボードを取り付けました。古いピノチオ製のロストです。

小湊鐡道 五井

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 撮影は2008年でほぼ10年前になってしまいますが、小港鉄道には、古い昭和の鉄道風景が残っていました。

 地方鉄道のレイアウトを作る方には、取材の価値のある鉄道なんだろうとおもいます。

 車両はほとんどが旧国鉄のキハ20に似たタイプのもので、ちょっと単調ですが、車庫に古い気動車が残っているのはうれしかったです。

クモハ73 (6)

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 クモハ73の偶数番ですが、MPギアによる駆動、パンタ、ジャンパ栓の設置等でほぼ生地完成となりました。連結面のカプラーはカツミのACEにしようか、昔ながらのエンドウのドローバーにしようか悩んでいます。走行性能(走行中の解放防止)の観点からはエンドウがいいようです。

 

阪堺電車 大和川 浜寺

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 阪堺電車大和川の鉄橋を渡るところと、浜寺の終点で撮影したものです。時は2008年2月。

 トラムが長い鉄橋を渡る姿は、岐阜にもありましたね。たしか、その写真もとっているのですが、見つけ出すのが大変。