2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧
かつてのスカ線の王者モハ32です。17mの電動車が20mの付随車を従えるのは、機関車列車のような雰囲気です(言いすぎか)。PS2型バンタ、DT11台車などにも特徴があります。大変ありがたいことに、Mr.Hが買いそびれたPS2を供給してくれて、もう一台作ることが…
モハユニ44は、身延線で長く活躍したことが有名ですが、もともとは横須賀線を走る高速電車だったわけです。久保敏氏の写真集に、1951年富士電車区で撮影されたスカ線色の姿があります。当時の身延線はブドウ色ですから、横須賀線からの転属直後のものと推察…
これも以前作った車両で、第一次流電のサロハを格下げしたサハ48です。実物は、戦後茶色になって阪和線で活躍し、その後、クハに改造されて飯田線に行きました。したがって、このようなスカ色で活躍することはなかったわけです。 模型は、中古の谷川の流電の…
以前に作ったサロ45です。昭和25年頃の姿で、トイレの設置はまだです。また、青帯の上に細い白線も入っていないころです(もちろんその方が作りやすいからですが)。 室内灯は設置していませんが、シートは取り付けました。 このころの32系電車は屋根上のス…
妻面の竪樋を半田付けしました。外側から真鍮線と割ピンを止め、その後、車体内側から割ピンの出っ張り部分に半田を流すのですが、1か所、半田をつけすぎて竪樋と妻面の間が半田で埋まってしまいました。これを除去するのに、結構時間を使ってしまいました。…
車体に妻板側の雨どいを取り付けなければなりません。いさみやの0.7㎜の割ピンを使います。穴は0.5㎜で開けた後、0.6㎜に広げました。このほうが割ピンがスムーズに入ります。 ニッパーはメリーのもの。ピンバイスは古いのは今は亡きNIWAのもの、新しいのは…
9040型が一段落したので、その他の仕掛品に取り掛からなければいけません。サハ48の床下にとりかかりました。床板の両端に幅7.7㎜の切れ込みを入れ、0.8mm真鍮板から作った連結器を設置する板を止めます。アルミだとねじ山が壊れやすいので、この部分は真鍮…
ちょっと乱暴な調整でしたが、なんとか、かなり垂直になったので、ここらで完了とします。煙突は塗装がはがれたので、いさみやの黒プライマーを吹き付け、そのあと、つや消しのクリアを吹いています。ちゃんとした塗り分けではありませんが、ボイラーより艶…
買い置きのエコーの機関士と石炭を乗せました。これで完成、と言いたいところ、大きな失敗に気づいてしまいました。 下のお師匠様の8100と並べるとはっきりわかるわけで、がーん。何とかすこしでも調整しようと悪戦苦闘中です。
ようやく窓ガラスとシリンダ給油管を設置できました。あと石炭と乗務員です。 走りは、低速がぎくしゃくしていましたが、ふと、思いついてウォームのかみ合わせを調整したら、スムーズになりました。ふーーーー。良き哉良き哉。
19日だからED19です、と書こうと思っていたら20日になってしまいました。 当時は、貨物列車の本数が多く、また、事前に豊橋機関区に手紙を書くと、機関車運用表を送ってくれるなど、今から思うと夢のような時代でした。
18日なのでED18です。ED18は3両ありましたが、1号機が元ED50なのに対して2,3号機は元ED52で車体が多少違います。最初は南武線に投入されたものの、線路への横圧が大きく、速度の低い飯田線に転用されたと理解しています。 模型はキットのままで、早く作ら…
17日なのでED17です。ED17はED16とともに中央東線電化の立役者でした。大きく分けて旧ED50の系統は主に甲府機関区にあって、八王子~甲府間の貨物列車を牽引。旧ED52の系統は八王子機関区の所属で、戦前は八王子~新宿の旅客列車、戦後は八王子~飯田町の貨…
16日なのでED16、天賞堂の完成品です。自分にとって子供のころ、電気機関車といえばこの機関車しか思い浮かばなかったというほどなじみにあるものです。 この模型は実物の感じをよくとらえています。自分にとって残念なのは、最晩年の姿で、テールライトが埋…
鉄研の先輩からいただいた米国型蒸機の下回りです。動輪径は20.5mm、天賞堂ブランドです。初めて手にしたとき、これは、あの久保田氏の8850の動輪だ、と思いました。 『蒸機を作る』の記事には軸箱付きとありますが、この下回りは軸箱がなく、動軸固定ですが…
クハ79の相棒は、クモハ73の原形の奇数番です。これもカワイの車体から仕上げたもの。動力は片側台車のインサイドギアです。 南武線の増結編成は2両のクモハ+クハで基本編成の4両の立川方に連結されていました。運用区間は川崎と稲城長沼の間でしたから、立…
モハ63で資材不足のため無電装で出場した車です。このため、クハですが台車はモハ用のDT13で車輪も910mm径。ほとんどが偶数車だったようです。 南武線の川崎方は奇数なので、基本編成が20m化したあとは、クハ79の比較的新しい車が入っていました。このため、…
ナンバープレートを付けました。これは、何年か前に所属クラブにおねだりして作ってもらったものです。ようやく日の目を見ました。 あと、窓ガラス、機関士、石炭などを手当てしなければなりません。
9040型の試運転の記録です。貨車9両をけん引しています。ある程度の速度だと我慢できるのですが、低速ではぎくしゃくしてしまいます。嗚呼。 youtu.be
組み立てて走るようになりました。ここに来るまで、PFMの接点の作り直し等、相当の時間をかけて調整が必要でした。それでもまだ、走りに満足がいきません。とてもスムーズとはいいがたいのです。悲しいかな、腕の悪さが出ました。
組み立て前の各部分の記念写真。下回りを組み立てた後車輪を転がしたら引っかかりが出てドキッ。しかし、しばらく後に動輪押さえ板がしっかり締め付けられていないことに気づき、問題解決。動輪押さえ板というのは重要ですね。
艶ありの黒を塗って1日おいてからマスキングを外し、つや消しのクリアを吹きました。塗装はいつもいやいやの気分で行いますが、それがよくないのですね。
いよいよ塗装に着手しました。キャブの窓を南海電車のニス色に、火室下部を赤に吹き付け、それらをマスキングしてから艶あり黒を吹き付けました。ガンはイワタのエアブラシです。 塗装ブースがないので、すべて工作台で行いました。この後ろがすぐレイアウト…
立川側から2両目のサハは17の200番台、すなわち元31系です。 31系はしっかり作られていたのでしょうか、他のサハ17が廃車になった後も活躍していました。むかし、雑誌「鉄道ファン」が「省線電車の走るところ」という連載記事を掲載し、1970年1月号で南武線…
川崎側から2両目はモハ10です。これもフクシマのキットを組み立てたもの。 自分が意識してみたのが1967年、翌年には消滅した形式ですから貴重な思い出です。南武線には山手線から流れてきたようです。 それにしても、このような地味な車両のキットが発売され…
川崎側はクハ16の400番台です。フクシマのキットは自分にとってちょっと高価でしたが、気持ちよく組め、実物の雰囲気をよくとらえている素晴らしいものでした。ヘッドライトとテールライトは点灯化しています。 室内灯は省略。内張はラシャ紙でカツミの緑色…
南武線は戦後早い時期に国鉄の17m級国電が投入され、社型の車両が駆逐されました。その後、南武支線が新性能化される昭和50年まで17m車の活躍が続いたわけです。 小生が初めて買ったTMSは1967年6月号で、当時小学校5年生。そこには南武線のペーパー車両の記…
サハ48は、この秋に塗装までもっていきたい車両のひとつです。ひかり模型のジャンクの車体を組み立てたもので、シル・ヘッダーはエコーの製品を使いました。妻板はどういうわけか下辺が直線だったので、側板に接するところを斜めに削っています。 台車と車輪…
晴天で湿度も低く、まさに塗装の秋がやってきました。いざ塗装、といっても、下準備がどうしても必要。ということで、9040型をばらしました。バットに入れて、クレンザーで磨き(古歯ブラシを利用)、次に、台所の中性洗剤につけました。 同時に、黒染めする…