O住さんに送っていただいた組立説明書に従ってテンダーの上板と風よけをハンダ付けしたところです。その他のテンダー上回り部品はすべて欠品のようで自作していきます。
『新日本鉄道史』下巻に掲載されている、この植松宏嘉氏による絵は、山高五郎氏の証言を基にしています。日本鐵道には結構緑色の機関車が多かったようです。 なお、1B1タンク機関車(900形らしい)は黒に近い濃紺色だったそうです。本の受け売りですが。
上回りもある程度組まれています。9700形は自連化の前に廃車されてしまいましたが、自分は自連が好きなので、ちょっと残念ですが、カウキャッチャーを外そうかと考えています。
4000形ができてないのに何だと言われてしまいそうですが、9700形を始めました。 これは、お師匠様おさげ渡しのジャンク品(金箱なる珊瑚製の模様)です。すでにある程度組み立てられていますが、部品の欠品などがあるようです。 まずは、クランクピン。左側…
C62の集電がいまいちだったので、テンダーの枕梁から車軸に0.25㎜燐青銅線を掛ける手直しをしました。 これで終える予定だったところが、走りもいまいち。原因を調べると、どうもトルク棒がよくないようで、ユニバーサルジョイントを含めてすべてやり直しま…
本年も本ブログをどうぞよろしくお願いいたします。 youtu.be なお、1週間ほど更新をお休みします。
半鋼製の車両の場合、屋根はキャンバス張りが多いわけですが、その工程の写真を見るのは初めてでした。 このような写真を展示するところも、横濱市電館のすばらしさだと思います。
先日サンゴパーツから届いたのが、これ、D50のボイラーです。長年D50関係の部品を買い集めてきたので、そろそろ寿命との相談で、着工した方がいいでしょう。 なぜD50かというと、やはり、子供の頃読んだTMSに掲載された記事、すなわち、著名な久保田富弘氏の…
「本年の振り返り」の次にくるのは「新年への抱負」というのが、ありきたりかもしれませんが、順番というもの。 仕掛品を再掲するのも藝がないので、まずは貨車のエッチング板。 珊瑚の古典貨車エッチング板は大分作ってきましたが、あと4両作ることで在庫解…
今年を振り返ると、ホキ、古典貨車、クロハ49、ED56、古典車掌車、9600が2両など結構いろいろやっていたことがわかりました。ちょっと前のことを忘れるので、アホがますますアホになっている感じです。 このなかで、一番厄介だったのが天賞堂の9600のランボ…
これは、ちょっと気に入った1100型です。前後にわかれた2ドアというのがいいです。戦前はポールが片側にしかなかったのですね。ビューゲルが導入されたのは昭和25年だそうです。
しばらく前に横浜市電保存館を訪れました。根岸線の根岸駅からバスで10分くらいのところです。 横浜市電はカッコいい車両が多いように思え、以前から気になっていました。施設は立派で保存車両の数も多く、何よりも、保存にかける関係者の熱意が伝わってきま…
NWSL0-8-0Tの上回りからベルをひっぺがし、こちらに移設しました。
砂撒き管を取り付けました。0.4㎜線、内径0.4㎜パイプ、内径0.6㎜パイプ等の組み合わせです。 別件ですが、サンゴサービスに頼んでいた部品が届きました。年内の営業は本日まで、年始は1月21日からだそうです。
かなり以前にこの機関車を取り上げましたが、今般、自分の香港勤務時代(1996~1999)のネガが発掘されたので、もう一度取り上げることにしました。
端梁にカプラー用の孔をあけました。悲しいかな、それだけ。
大きな窓、貫通扉付き前面、明るいカラーなど、伊豆急100形は魅力的な電車でした。1等車のついた6両編成というのも模型向きです。1972年3月12日撮影。 昔、なかおゆたか氏の記事に刺激され、ピノチオのキットを2両組み立てたことがありました。
前部の端梁を作り始めました。上板は0.5㎜厚で、それに6㎜幅の0.3㎜厚板を巻くような構成です。作ったら、横幅が0.5㎜広くなってしまい、仕方なく、左右の曲線部分の内側に丸棒をハンダ付けしたうえで、0.3㎜板を削り取るような形で成形しました。 KKCの名人…
キャブの前妻に引き棒などのためにいくつか孔をあけ、その後、ようやくボイラーとキャブが合体しました。この後、水タンクを作り替えなければならないし、どのような方法で取り付けるか、悩ましいです。その前に砂撒き管なども取り付ける必要があります。 ま…
懸案だった火室下部を工作しました。0.4㎜厚板を3㎜幅に切り、その間を0.8㎜厚の小片でつないだものを台枠側に半田づけするという方式です。まだ、キャブとボイラーは接合していません。
バックプレートに水面計らしきものと加減弁引き棒を取り付けました。ボイラーへの取り付けはハンダだと水面計などが動いてしまいそうだったので、みっともないけど1.4㎜ネジとしたところです。
川井のコンクリート橋は当時すっきりした形でした。ED16のパンタはまだ軽量タイプのホーンに交換される前であったことが確認できます。クモハ40は相変わらず昼間は青梅で昼寝中でした。
下手な写真ばかりで恐縮ですが、中学3年の時、鉄研のN野君、O住君、E藤君と青梅線を訪れたときのものです。クハ55の若番はかなり後まで青梅線に残って、4両貫通編成にも使われていました。
古典機関車の模型クラブに入れていただいていますが、本来雑食系なので、近代型蒸気、旧型国電、電気機関車、ディーゼル機関車等いろいろ手を出しています。 しかし、まず手を出すことはないと思われる機関車もあり、EH10はその一つだと思います。 東海道で…
キャブの出入り口があいているので、バックプレートを作らないとちょっとみっともないかなと思っています。ベースは円盤を旋削して一部欠きとったものに長方形の板をロウ付けしました。そこにロストの焚口戸をつけました。 あと、加減弁梃子と水面計をテキト…
1971年3月20日、下部~波高島間で撮影した身延線の列車です。クモハユニ44803は大糸線から移ってまだそれほど時間がたっていない頃でした。 80系の急行富士川はモハ3両の5両編成です。当時は鉄道のお客さんが沢山いたわけです。クモハユニの編成の後に見える…
朱色のクハ55について、お問い合わせをいただいたのですが、残念ながら前面の写真は撮っていなかったようです。 代わりに同じ日(1971年3月20日)、波高島で撮影したクハ68?の写真と電車区で撮影したクエ28002の写真をアップします。 当時の身延線、飯田線…
キャブの床板を作りました。
バックプレートをつけるための台座を旋削して取り付けてみました。火室下部をどうごまかすか、思案中。設計力がないから苦労します。
身延線では、電動車がすべて偶数向きで制御車は奇数向きでした。 電車区では、超ロングシートで有名な、クハ47153に会えてうれしかったです。 電車区の見学が終わってから、近くの柚木駅に出て、電車で富士に向かいました。甲府に向かう列車の最後尾は横須賀…