モーガル(Mogul)工場日誌

80分の1、16.5mmゲージを中心とした鉄道模型工作

鉄道写真

江ノ電 1979年7月27日

1979年に江ノ電を訪れていました。この頃は旧型車のみだったんですね。

80系、クハ55 (松本駅 1979年8月12日)

信州で80系が活躍していた時代がありました。パンタは折り畳み高さの低いPS23に交換されていたと記憶してます。大糸線の青い旧型国電もなつかしいです。

国分寺駅旧下河原線イベント(1979年12月)

1979年12月に国分寺駅の旧下河原線ホームでイベントがありました。まだ現役だったクモハ40や旧型客車、電気機関車(EF13?)が動員されています。お客さんは見当たらず、鉄道ファンはまだ少数派でした。

2軸客車改造救援車

救援車というと、昔から古い客車を利用することが多かったようです。自分の地元の立川機関区では、貨車が使われていました。 古いTMSの特集号にそうした救援車の1例として2軸客車が掲載されています。昭和の御代、しかも戦後ですが、ちゃんと油灯交換のため…

飯田線 1979年7月 (3)

横須賀線の32系サハ48改造クハ47と合の子モハ43を出力アップしたクモハ53です。両方ともかつては幹線で高速走行していたわけですが、晩年はここでのんびり。

飯田線 1979年7月 (2)

42系2扉車もまだ残っていました。(伊那松島にて)しかし、この頃になると、老い先短いことが感じられ、何か悲しかった記憶があります。1970年頃は、まだまだ元気で、とても魅力を感じたのに、ちょっと自分との距離感を感じました。国鉄末期の荒廃した雰囲気…

飯田線 1979年7月 (1)

古いアルバムから飯田線の写真を発掘。ネガカラーで退色しています。クモニ13、クモハ50?はPS11がついて前面Hゴムもなくしっかりとした顔つきです(辰野にて)。クモハ54はPS11がうれしいものの、前面運転席窓がHゴム化されています(伊那松島にて)。

2018年12月 四日市あたり

コロナの前、中学鉄研のN野君と四日市や伊勢志摩に遠征したときの写真です。たった4年前ですが、もう見られなくなった車両、これから消えそうな車両が写ってます。

小田急1000系未更新車 1251編成

久しぶりに通勤で1000系未更新車に乗りました。多摩線に入ってくるというのは、ホスピスに入るようなものかもしれず、ちょっとこの先が心配です。1000系は前面のデザインが秀逸で気に入っています。

小田急 1000系

小田急1000系の未改造車は廃車が進んでいるようです。昨日久しぶりに多摩線で見かけたので記録しておきました。1000系は、伝統的な小田急のスタイルを継承した、余の好きな電車です。この後の小田急は、3000系、4000系、5000系と伝統をかなぐり捨てた外観に…

阪急 甲陽園

その昔TMSに坂本衛さんが阪急甲陽園と京阪私市を取材した記事を書かれていました。当時、遠く関東にあって関西私鉄のことなどまるで知らなかった自分ですが、心に残る記事でした。 しばらく前、初めて甲陽園に降り立つことができました。阪急電車はピカピカ…

半径60mの曲線(80分の1でR750mm)

16番の模型で半径750mmの曲線といえば、比較的一般的かと思います。しかし、当然のことながら、実物では急曲線であり、通常はまずお目にかからないわけです。 阪急の西宮北口に今津線と本線の連絡線がありますが、そこが半径60m(16番で半径750mm)となって…

筑豊の気動車 1977年

巷ではキハ28の話題が大いに盛り上がっているようです。余にとって身近な中央線にはキハ58しかいなかったので、キハ28を強く意識することはありませんでした。ところが、学生時代に筑豊で撮影した写真にキハ28が写っていたのでアップしてみました。1977年で…

南武線 1969年 矢川駅付近 (EF15、73系)

諸般の事情で工作の進展なし。中学1年生の時自宅近くで撮影した南武線です。1枚目はEF15の牽引するジェット燃焼列車(空荷)。2枚目は立川行きの電車で全金属車体の偶数番クモハ73が先頭です。 1年前には川崎方にクハ16のついた編成が結構あったのですが、こ…

小田急1000系未更新車

小田急1000系は小田急の伝統的なスタイル(前面扉・手すりあり、戸袋窓あり)を維持しながらステンレス車という新しい時代をもたらした車両です。川重が営業で小田急にステンレス車を提案したところ、テカテカした感じが嫌だといわれ、それではと、つや消し…

モントリオールの鉄道博物館 1986年

カナダのモントリオールにある鉄道博物館を訪れたときの写真です。撮影は1986年。当時は素朴な博物館でした。現在のHPを見たら素晴らしく発展していて驚いた次第。 カナダや米国の鉄道保存は自分がアメリカに滞在していたころよりどんどん改善されているよう…

身延線 1986年8月 115系

工作室があまりに無秩序になったので、掃除にいそしみました。仕掛品を数え上げたら、なんと33両。頭が混乱します。 写真は1986年8月の身延線、下部です。この塗装の時期は比較的短かったのではないでしょうか。遮断機が昔ながらの白黒だんだらですね。

1977年7月 九州旅行 (9)

直方の転車台の付近です。まだ蒸気時代の面影が残っています。 DD51やDE10の活躍も次第に古き良き時代になりつつあります。 Macklemore Feat KeshaのGood Old Daysっていい曲ですね。

1977年7月 九州旅行 (8)

1枚目では、暑いせいか、キハ20もDE10もドアを開けてます。2枚目の後ろの方はキハ66・67でしょうか。この度退役との話を読んだ覚えがあります。3枚目は九州名物2軸の石炭車。 それにしても架線がなくて、空が広い感じがします。

1977年7月 九州旅行 (7)

この時は、車両だけでなく、古い鉄道設備や建物も撮影していたようです。

1977年7月 九州旅行 (6)

ふたたび飯塚の風景です。DD51の若番の牽引する列車の最後尾にはかつての特急用オハニ36が入っていました。跨線橋や詰め所なども古いものが残っていていい感じです。本線上に手動ポイントがあるのも、びっくりでした。

1977年7月 九州旅行 (5)

キハ17、なつかしいですね。 父親の出身が箱根ケ崎なので、キハ17、キハ20、キハ30は八高線でよく乗車しました。キハ17が古いブルーとクリームの塗分けで赤とクリームの車両と混結されていたのも覚えてます。4歳くらいのことだと思います。

1977年7月 九州旅行 (4)

飯塚の風景です。こうしてみると、昔は本当にいろいろな種類の車両がごろごろしてました。それにしても客車列車の風情はいいですねぇ。

1977年7月 九州旅行 (3)

飯塚にてDD51牽引の客車列車。普通列車ですが、43系も入っていて、山陰本線よりいい車を使っていたようです。

1977年7月 九州旅行 (2)

南延岡電車区を見学させてもらいました。クモヤ791はなかなかいいデザインですね。子どもの頃「模型と工作」の特集号に製作記事がありました。

1977年7月 九州旅行 (1)

1977年7月鉄研で九州見学旅行に行くことになりました。現地集合なので、行きは東海道を鈍行で下ります。急行で地上ホーム時代の静岡に到着、まだ80系が活躍している時代でした。そこから鈍行を乗り継ぎ、途中豊橋機関区を車窓からパシャ。彦根へ。ED14やED31…

1977年4月山陰旅行(9) 続続 若桜線 

自分にしては珍しく沿線風景なども撮影してました。年寄りにとって1977年はずいぶん現代に近い感じがしますが、こうしてみると、蒸気時代の遺物も多く、結構年代物ですね。

1977年4月山陰旅行(8) 京都駅で見た荷物車

確かキハ58の急行で京都に戻ってきたと記憶しています。まだ保津峡沿いの旧線でした。京都駅で雑型荷物車がいたので撮影しました。マニ61は魚腹台枠ですね。

1977年4月山陰旅行(7) 続 若桜線

若桜発鳥取行きの列車は因美線の郡家で長い停車時間がありました。貨物ホームには荷物が山積みで、鉄道貨物がまだまだ盛況です。DE10にも暖房ホースがついています。 海外の保存鐡道には、貨車や信号システムなどすべてまるごと昔の状況を保存しているものも…

1977年4月山陰旅行(6) 続 山陰線の旧型客車 

山陰線では、1977年でも、このように戦前型の客車を含め、しかも電気暖房なしの車両が多数活躍していました。機関車こそ無煙化されましたが、昔の汽車の雰囲気を十分味わえた次第です。 自分が乗車した列車は前後にDD51が連結されていました。