土曜だけど、出勤。あまり工作できません。9040型のテンダーを進めます。上部の仕切り板をつけた後、難関のフレア部分をなんとか仕上げました。さらに、炭庫の部分を少しだけ(1mm)くぼませました。
実物写真をみると、晩年は炭庫前部、石炭取り出し口の上にも仕切り板があるようですので取り付けてみようと考えています。
縁取りは0.6mmの甲丸線をもってますが、それではちょっと太すぎるでしょうね。0.4mmか0.5mmの甲丸線をN村さんに教えていただいた方法で作らねば。
花巻電鉄はデハ3が鋼製車でデハ5が木造車でした。あまみやは両方のキットをだしていましたので、両方手に入れ走らせてます。前回アップした動画では、Yポイントのところで車体が何かにぶつかるような揺れが記録され、調べてみると、ポイント手前のカーブの形状に問題があるようでした。やっとこで無理やりカーブを調整したところ、ひとまず揺れは解消できたようです。
それにしても80分の1、9mmという模型は絶滅種族のようですね。
9040は引き続きテンダーの工作。上板を切り出して取り付けました。給水口のある最後部と石炭置き場の仕切り板ですが、過去の作例をみるとテンダー外縁より上にでる形です。しかし、『明治の機関車コレクション』や昭和初期の姿が載っている『SL No.2』などを見ると、テンダー外縁より上には出ていないようにも見受けられます。
小生の模型はおおざっぱですから、どっちでもいいのですが、ちょっと気になってます。
かつては中央線の旅客列車牽引のクイーン的存在だったEF11も、小生が鉄研に入ったころには、中央線、南武線などで貨物を牽引していました。テールライトもひっかけ式ではなく、埋め込まれてしまってます。
EF11のなかでも2号機が一番長生きしたと記憶してます。とうとうまともな写真がとれずに終わってしまいました。中央線の立川~日野の鉄橋を夕方、長い上り貨物を牽引して過ぎ去った姿が目に焼き付いてます。
写真は1969年、南武線の谷保~分倍河原間です。青梅線に入るホキの列車です。EF11は拝島までしか入れませんでしたから、多分、この先、西国立で機関車交換したものと思います。西国立では同じED16同士で機関車交換することもありました。
模型では、その昔、自作をあきらめて天賞堂の完成品を購入しました。テールライトが晩年の埋め込みなのが大いに不満ですが、仕方ないですね。当鉄道では旅客を牽引してます。
なお、9040、テンダーの排障器、KDカプラー取り付け台を設置。排障器は1回作り直しました。図面を引かずに行き当たりばったりで作るから、失敗するんですね。
9040のテンダーを引き続き作業しました。テンダー床板の下の台枠は、当初横幅26㎜で作って失敗。単台車が異様に外側に出てしまいました。仕方なく、24.5㎜幅で作り直し。なお、ロストで作った単台車を入れるため、その部分は台枠をかきとり、床板につけるとトンネル状になります。ボギー台車は0.8mm厚でボルスターを作って組み立て。床板側のボルスターは6mm丸棒を穿鑿。床板からの厚みは3mmです。