本日は、9040のテンダーの連結器解放てこを作ったくらいですので、高校修学旅行話の続きです。これは、見学から引き上げるときに乗車したC57 199牽引の旅客列車です。鉄橋を渡る写真をとってから、全員で駅にラッシュして、乗車した次第です。
土曜日ですが、諸般の事情で全く工作できません。そこで、今週ようやく完成に至ったトラムについて語ります。
下回りは、カワイがすでに台車の販売を終了?しているので、いただきもののロストワックス部品(山形交通?)の軸距離を32mmに縮小して利用しました。車輪はいさみやの直径9.5mm(日光製)を利用し、いさみやの吊かけモーターを装備しました。配線は当初並列でしたが、速すぎるので直列に変更しました。
ポールはヤマ模型の製品です。取り付け部分が1mm真鍮線だったので、それを包み込むように、外側に2㎜ねじを切ったパイプ状の部品を穿鑿し、半田で固定しました。車内に差し込んでからダブルナットで自由に動く程度に締め付けました。
また、コイルバネはいさみやのものに交換し、押上げ圧力を増やしました。
車輪が製品より直径で1㎜小さく、また、車体の腰板を1mm縮小しましたので、製品より車高は1.5mm低くなってます(はず)。
未塗装の状態でいさみやのレイアウトで試運転しましたが、完成後の試運転はまだです。早く、遊びに行きたい。
ティーンエージャーの頃は、もっぱら電車ファン、とりわけ旧型国電ファンでした。いつもへそ曲がりなので、当時のSLブームに乗りたくないという気持ちと、ペーパーで模型を作りやすい(これなら自分にできる)という事情が影響したものと、わがごとながら、推察しています。
旧型国電のメッカといえば、飯田線。鉄研の友達と1972年2月の寒いときに出かけました。当時、すでに全線直通の列車は流電4両編成ではなく、クハユニ56+クモハ54(51?)+クモハ42の3両編成に置き換えられていたと記憶してます。
クモハ42はパンタ側が前面にでる編成がかっこいいのですが、この3両編成では、非パンタ側が先頭で、ちょっと残念です。
この写真を撮ったしばらく後、飯田線の塗装は少し変化し、貫通扉のある車は、前面の中央腰板の部分がクリーム色になってしまいました。自分は、この写真のような塗り分け、すなわち、昔の横須賀線タイプのものが好きです。
ED34は旧南武鉄道の1000型(1928年製造)で、1961年にED27に改番された機関車です。日立の初期の電気機関車のひとつ。生まれてから国鉄で廃車になるまで、南武線、青梅線以外には足を踏み入れませんでした。
出力700kwのため牽引定数は35で、ED16やED17の80と比較すると随分、非力でした。ちなみにED16は900kw、ED17は915kwです。しかし、非力なわりには、よく使われ、日本の高度成長を支えてくれたようです
小生が初めて意識してみたのは、小学生のころ拝島で入れ替え作業をしていた姿です。電気機関車といえばED16しか知らなかったので、形の違う機関車がいることに、印象づけられたのでしょう。
中学で鉄研に入った後、追いかけたくても、気がついた時には休車。西国立で1971年春に写真を撮ることができました。
模型は夢屋のキットを組み立てたもの。そのまま組むと車高がかなり高くなるので、ボルスター位置やモーターを変更して、何とか下げることができました。インサイドギアとモーターの取り付けが、高下駄をはかせたような形になり、音のうるさいのが大きな欠点です。これも、いつか改修したいのですが、いつになることやら。
ところで、模型屋さんは、最晩年の姿を製品化することが多いのですが、このED34はそうではなく、ありがたかったです。