モーガル(Mogul)工場日誌

80分の1、16.5mmゲージを中心とした鉄道模型工作

モーガル競作 (192) 珊瑚の8620

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 KKCの名人、がたごと列車ブログの主、初瀬春日氏のブログ記事にバイパス弁操作梃子の取り付けが記されています。結構目立つ部品なので、余も見習わなくては、と工作しましたが、どうもすっきりとはいきません。まあ、善き哉、善き哉。

モーガル競作 (191) 珊瑚の8620

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 結局逆転棒はキャブの前で少し湾曲させることにしました。空気放熱管のロストパーツに続く部分を0.5㎜線でつけましたが、この配管はちょっとおかしいようです。一端左側のタンクに入った後、右側に抜けて、再び放熱管をたどる経路になってしまいます。放熱管をずっとたどってから左右のタンクに入るべきなのでしょうが、まあいいか?

 11月末の期限にまにあうか、少々怪しくなってきました。

モーガル競作 (190) 珊瑚の8620

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 8620に戻ります。珊瑚のキットの放熱管などいくつかの部品を取り付けました。問題は逆転棒で、放熱管の後を通すと、キャブの直前で曲がってしまいます。キャブ側の穴の位置を変えるか、放熱管を外側にずらすか、善き哉と妥協するか、頭イター。これまでに作られた方はどうされたのでしょう。

クハ55073 (2)

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 前面に窓枠、ドアをつけました。車体とは側面の乗務員ドアを介してつなぐことになりますが、どうもこのドアの下部が実物と相違しているようです。このあたり、凝ってもしょうがないものの、気になりだすと止まってしまいます。

 半流の妻は、中学生の時にペーパーで身延線の合いの子クモハ43810を作って以来です。

 

省線電車の走るところ

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 今から半世紀前、雑誌「鉄道ファン」に「省線電車の走るところ」という連載記事がありました。余には、バイブルのような資料です。

 1970年前後というと、旧型国電の最末期よりは10年くらい前で、17m車が急速に淘汰され始めたころです。また、余が中学生になり鉄研に入って友人からいろいろな知識を得るようになった時期でもあります。

 残念ながら、連載のすべてが手元にあるわけではないのですが、身近な南武線、青梅・五日市線や一時期夢中になった飯田線身延線などの回は、いまでも繰り返し読んでいます。

 配置表によると、この時期、青梅・五日市線では、17m電動車がほとんど淘汰されたものの、クハ16がまだまだ大きな存在感を持っていたことがわかります。

クハ55073 (1)

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 青梅線にいた、ノーシルノーヘッダーの美しいクハ55073はずっと気になる存在でした。やらねばならぬことだらけの中、ちょっとだけ手を出します。

 故T木さんにお世話いただいた谷川のキットです。

 中学生の時、青梅駅で写真をとることができました(以前にも載せましたが)。ホームで駅員さんが荷物を扱っています。青梅線では、よく青梅方最後部のドア付近をシートで区切って荷物扱いしていました。以前はクハニ67がいたそうですが、小生が中学生の頃にはいなくなってしまい、一般車を利用していたわけです。

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追記:この写真(1970年)をよく見たら、旧青梅鉄道本社ビル(青梅駅舎)の隣のビルに「五王交通株式会社」の看板があります。五王バスは、自分が小学生にもならないころ、福生から五日市行のバスを運行していてよく利用しました。五日市の五と八王子の王をとった名称の西多摩地区のバス会社です。その後、京王に買収され「西東京バス」になりました。1970年でもまだ五王の名称の企業があったことに気づき、びっくり。