モーガル(Mogul)工場日誌

80分の1、16.5mmゲージを中心とした鉄道模型工作

お題:B 600形原形 (3)

 タンク機関車の水タンクと床板の間に隙間があるとみっともないので、水タンク前方にL字金具を取り付け、床下から1.4㎜ネジでとめることにしました。

 キットに入っていた上回りのディティール部品を取り付けました。空制化されていないとパイピングは本当に少ないですね。

お題:B 600形原形 (2)

 A8用のロッドやバルブギアは珊瑚パーツに注文したものの、届かないので多分品切れなのでしょう。コピーを作るしかありません。コピーの作業も並行しなければいけないのですが、取り急ぎキットで部品のそろっている600形原形の上回りを進めました。

 簡単にできると思ったら、砂箱からバルブギアカバーのあたりは薄板の構成で、結構手間がかかります。特に砂箱の取り付けは難しく、仮止めしてからギアカバーと水タンクでサンドイッチにしてからハンダを流すといいようです。

 キャブ内部は水タンクが省略されているので、これから作らねばなりません。

小高のクハ153 (4)

 車体に雨樋を取り付け、もう一度サーフェイサーを吹きました。床板や台車は従兄の遺品のサロ153のものを転用します。車輪はストックの日光のピボットを入れたところぴったりでした。日光は偉大なるカワイ規格だったのですね。

 スカートは故T木さんが作ってくれたものです。

 偉大なるカワイのボルスターですが、そのまま台車を取り付けると車高が1㎜強高くなります。仕方がないので、床板をボルスターの部分だけ削り込んでボルスターを埋め込みました。

 

昭和44年(1969年)頃の飯田線

 飯田線の旧型国電は、9㎜ゲージでも製品が発売されるなど、高い人気を誇っています。しかし、雑誌に掲載されるキットの製作記事や完成品などは、どれも旧型国電末期のものが多く、へそ曲がりの余の好みとはちょっと異なります。

 昭和40年代初めのころは、基本ぶどう色で、全線直通の列車(快速)のみ湘南色ということだったようです。昭和43年ころからスカ色の導入が始まり、3色混在という状況が生まれたのでしょう。この頃が面白かったのでは。

 雑誌「鉄道ファン」1969年12月号の「省線電車の走るところ」は、ちょうどその時期の飯田線をレポートしています。クモハ42やクハ47 100番台に湘南色が多く残っています。確かサハ45にも湘南色がありましたが、身延線に転出したようです。2両に減ったとはいえクモハ14やクハ18も健在です。

お題:B 600形原形 (1)

 A8の3兄弟すべてをKKC総会に間に合わせるのはできそうにないので、キットの600型原形を先行させることにしました。
 150形を作った後A8をみると、とても大きく感じられます。B6に近い長さです。

 150形を召し上げられた後、A8をもらった島原鉄道もさぞ驚いたことでしょう。

小高のクハ153 (3)

 サーフェーサーを吹くとこんな感じになります。プラスチックの精密成型完成品が手ごろな価格で販売されている現代、こんなことしている人はまずいないのでしょうねぇ。単なる老人の昭和40年代へのノスタルジーです。